①(はじまり)
和泉康正は、数年ぶりに東京の空気を吸った。ここで経験したたくさんのことを思い出す。決していい思い出ではなかった。
東京駅から池袋へ行き、目的地へ向かった。
焼鳥屋ののれんをくぐり、店の中に入った。外はまだ明るい、店内はまだ人気がなかった。奥のテーブルに背の高い男が座っていた。階段を背にした様子がより男を大きく見せた。康正と目が合うと、男はにっこりした(257)。
「お久しぶりです」男は階段にぶつからないように立ち上がり名刺を差し出しながら言った。「久松署の加賀です」
久々に見る加賀恭一郎の優しい笑顔に、康正は旅の疲れを忘れた。
「あの時の名刺、まだありますか?」康正は練馬署から久松署に変わった名刺を見ていった。
「ええ、捨てるほど」加賀は紙を破る仕草をした。お互いの顔が緩んだ。
二人は腰を下ろし、加賀はビールを注文した。そして、グラスに冷えたビールを注いだ。
「乾杯」
久しぶりに見る顔を懐かしく感じながら、二人はビールを一気に喉に流し込んだ。
安くておいしい焼き鳥を食べながら、お互いの近況を報告しあい、ビールを飲んだ。やがて、店内は賑やかになり、満席に近くなってきた。
「はじめて君とここで飲んだ時、俺は君に本当のことを言えばよかったのかな」康正はいった。
「わかりません」加賀は首をふった。「あの時ドアチェーンのことが判明していれば、警察は他殺の線で本格的に動くことになりました」
「そうだな。俺は犯人に協力して園子が自殺したように見せかけたんだ。俺が何もしなければ、警察が犯人を捕まえただろうな」
「そうですね」加賀は目線を落としたまま同意した。
「しかし、君はドアチェーンと関係なく園子が自殺したと思っていなかった」康正は加賀の顔を覗き込むようにいった。「いつから他殺を疑ったんだい?」
「そうですね…… もちろん、はじめて園子さんの部屋に入った日です」
康正は驚いた。自分が他殺を隠蔽したことはなんだったのだろう。
「そんなに早くか…… 教えてくれ。どこにそんな情報があったんだ」
「それでは」加賀は一息つき話しはじめた。
②につづく
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